こんにちわ、かす野です。
突然ですが、皆さんはNARUTO-ナルトを読んだ事はありますか?読んだことある方にはこの記事のタイトル聞いたことがあると思います。どうでもいい
その漫画の中で、自来也が言う台詞があります。『忍者とは忍び耐える者』と。
かす野は少し病気を患っていて、『パチンカスとは多くの事に忍び耐える者』であると勝手に置き換えて記事を書いてみました。あほ
パチンコ依存症とは多くの事に忍び耐える者
パチンコ依存症は病気である。このフレーズを聞いたことがある方はたくさんいることでしょう。しかし、結局のところ自己責任であると。賛否両論あるとは思うが、僕は自己責任内の範囲であると思う。ただこれだけのことでは記事にもならないので、逆の発想で書いてみようと思う。
まずパチンコを打つユーザーのなかで、どのくらいの人がパチンコ依存症であると自覚しているのだろうか?半数いるのだろうか、いや全員がそう思っているのか、正直分からない。パチンコユーザーは勝っていれば自身が依存症なんて思わない、負けが続いていたり、お金を失ってしまった時にだけ、都合がよく自身が依存症と認識するのだから。
かす野自身がパチンコ依存症であった経験を踏まえての話になるが、本当に多くのことに耐えてきたような気がする。
多くのことに忍び耐えてきた
- 食費を抑えてパチンコ
- 光熱費を抑えてパチンコ
- 買いたい物を抑えてパチンコ
- 友人を失ってもパチンコ
- 大切な人を失ってもパチンコ
- 嘘をついてパチンコ
- 誰にも言えないパチンコ依存症
書いてて本当にあほですね笑 戻ってこない時間をパチンコに費やしてきました。サンドには躊躇なくお金を入れるのに、食費・光熱費をケチったり、友人等の時間を使わなかったり、色々な意味で相当なストイックなやつでした。
これらを負の発想ではなく、こう考えてみました。
- 必要最低限の暮らしを体験できた
- 人と違うことをすると、人は離れていく
- 好きなことであれば、とことん向き合うことができる。
都合が良すぎるということは、重々承知しています。しかし、かす野の人生でここまで打ち込んだことは、なかったような気がしてならないのです。
最低ラインを味わったからこそ
人として最低ラインを味わったからこそ、今後何かに役に立つ時が来る。自身の経験値として蓄積されたと思うようにしています。そして過ちを認め、同じことを繰り返さないよう自分自身を戒めています。
パチンコ依存症とは
パチンコ依存症とは多くの事に忍び耐える者。
多くの時間を消費し、自分を隠し、多くのことに耐える者。
何よりも自分自身の欲のため、全てを投げ出せる根性のある人間である。
その力を違う道で使うことが出来れば、何かを変える力を持つ者かもしれない。
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